お経さんが入ります  われらの時代に

参道での道路工事は以前続行中。


山寺への迂回を示す表示は相変わらず


金剛寺


となっていて間違ったまま。


本日は私の留守に団体参拝の一団が来られたのだが、なんとこのお寺が「金剛寺」というお寺。(後で調べたら同じ御室派のお寺で、女人高野で有名な大本山だったことが判明。)


なんともややこしい…




毎年、1月18日は特別な法要がある。
舞鶴市内にある三浜という海岸の地域で村の一年の安寧を祈願する行事である。



三浜にある禅宗のお寺で祈願を終えた後、村の子供が裃を着けて経本と洗米を入れた経箱を持ち、「お経さんが入ります」と言って、村の家々を一軒づつ回る。何とも古式ゆかしい行事である。全国的にみても珍しいものだろう。



祈願の後、近くの村の集会所で接待を受ける。
歴史のある地域なのでいろんな話が聴ける愉しいひと時である。


今年は祈願の冒頭で平家と丹後地方の関わりについて少し触れたら、近在には平家ゆかりとも言われる漁村があるという興味津々な話があった。言葉や習俗に独特のものがあるという。



平家=落ち武者というイメージが定着しているが、平家ゆかりの人々で平和裏に分散・定住した人々は少なからず居たに違いない。落人というと山間と思いがちだが、平家が海上交通に秀でたことを考えると海辺の村に定着した人々も多かったにちがいない。


さもありなんと思える話だった。



相変わらず政情不安である。
気候の不順や地震の多さなど予兆のような出来事も多い。


ある種の諦観や覚悟のようなものを抱かざるを得なくなりつつある。


それは自分の人生の中でこれからとても大きな震災に遭うだろうという予感である。


首都直下型地震東南海地震をはじめ、最悪の場合は東京・名古屋・大阪といった太平洋側の主要都市と生産基盤、交通網が壊滅的な被害に遭うことが予想される。


原発という危険で未知のファクターが加わることでこの災害がどれくらいの規模になるのか予測すら難しい。


私達は“その時”を心の片隅に置いて生きなければならないだろう。



翻ってみれば私の属する仏教という世界も大きな変化の時期立っている。


日本の仏教には近代以降だけでも何度も大きな危機が訪れている。


明治維新とそれに続く廃仏毀釈、脱仏教の動き。
戦中戦後の混乱と戦後の農地改革による経済基盤の喪失。
…それらを超えて仏教は生き残ってきた。


だが少子高齢化、過疎化、農業の衰退、地域社会の解体、仏教からの離心とによって日本の仏教は急速に揺らいでいる。



菩提寺と檀家が強く結びついた檀家制度はこれから10年で急速に衰退していくと思われる。
そうした時代に仏教に携わる者として生きていくということはやはり大きな覚悟がいる。


先の不安と併せて、時々心が暗くなる。


ひとつだけ希望があるとすれば。


混乱や破壊の中から新しい何かが生まれるのではないかという可能性である。



平時では不可能なことが、可能なのではないか。
混乱と破壊が転じて、生成化育の時になりえるのではないか。


今はそこに賭けたいと思っている。


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